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    140文字以上の何かまとまった文字数のものを書いています。

    たぶん書いたり消したりします。

    色と光と電気とラーメン

     2023/11/14

     あまり何かしているということがない。

     回りくどい表現になってしまったが、何もしていないわけではないが、かといって何かしたと言えるほど何かをしているわけでもないので、そうとしか表現できない。寒くなった。

     朝ドラ『まんぷく』の再放送を見ている。そこに絵描きの香田忠彦(要潤)というキャラクターがいて、戦争で閃光弾の光に目をやられてから色がよく分からなくなってしまい、絵が描けなくなるというエピソードがある。そうかあ…と思った。私は多分、普通に色は分かっていると思うのだが、鉛筆だけで描く絵よりも色を付ける絵の方が100倍くらい苦手だ。もはやこれは色が使えないと言っても過言ではないのではないか?ほかの人もみんなそうなんだろうか?とはいえ漫画などの原稿料もカラー原稿の方が明らかに高いし、やはり色が分かる人でも彩色というのは陰影をつけるよりもずっと骨の折れる仕事なのではないか。

     そもそも陰影をつけるというのもなかなか難しく、いろいろ考えながら私は描いている。対象が目の前にある時ですらそうなので、全く何も見ずに描くイラストなどは言わずもがな。それ以前に形をとるのも難しい。何もかもが難しい、考えると何も描けないような気がするし、実質何も描いてはいないような気がする。けれども逆に、だからこそ頭の中で立体物と光の当たり方と影ができるところがぴったりと合うというか、理屈と現実が結びつくと、ガッチャ!という気分になり、高揚する。絵を描いていて楽しいと思う瞬間の一つだ。

     振り返ると、自分は何とかそれっぽく陰影をつけられるようになるまでもなかなか苦労している。多分このまま陰影をつけられるようになることを求め続けて、そのあとにようやく色が、そこに現れてくるのではないかと思う。それはきっと生き物の進化と同じで、まず明るさに対する感受性を備えた次に色という情報を処理できるようになったような、なんかそういう感じのアレなんじゃないかなあ、と思いながら、今のところは鉛筆とペンと線とぼかしとカケアミで何とか自分でも納得できるような絵が描けている。

     

     初見の『まんぷく』で今のところ一番好きなシーンは、電柱から電気を盗んで川に流して魚を取り、叱られたら「盗んだ電気を川に流して魚を取って何が悪いんですか!」と、萬平さんが開き直るシーンです。逆に悪くないところどこだよって思う。

    猫の話

    2023/7/10

     このあいだ猫の漫画を描いた。(ブログ記事「森の中の椅子」)

     この話を思いついたきっかけがうちの猫というか、猫と暮らすうちに自分が変化したなと感じたことというかで、私は多分猫を通じて(猫だけではないけど)やっと「他者」について考えられるようになった気がする。多分大多数の人は社会の中で人間とのかかわりを通して、他者を考えて行動できるようになるんだろうけど、私にとって人間や社会はきっと難しすぎた。同様な理由で少し犬が苦手だった。生き物としては好きだけど、人間と社会的にかかわることができる存在は自分には高等に思え、構えてしまう。

     話がそれてしまった。つまり、私は猫やほかの生き物と身近に接していくうちに「自分じゃないもの」が何なのか、「自分じゃないもの」に対してどう接するべきなのか、考えることができてきて、対応することを覚えてきて、陳腐な言い方かもしれないけど愛することができるようになった気がする。自分自身猫が好きだったこともあるし、猫くらいの「正直さ」や「異質さ」がちょうどよかったのかもしれない。猫が好きだから猫のことを知りたくて本を読んだりネットで調べたりしたし、猫は正直だから「本当は嫌だけどこの人が悲しむから我慢しよう」という優しい嘘は殆どつかない。優しい嘘を全部否定するわけじゃないし、人間は優しい嘘をつくから他人と良好な関係を保てるのだと理解しているが、私にとって優しい嘘はかなり高度なスキルだった。ので、猫くらい、いわゆる(人間の基準で言うと)マイペースな生き物の方が他者というものを学べた。

     猫をきっかけにして「他人には他人の都合があって、それは私とは違って当たり前だし、基本的に関係ない」という基本的なことを会得したと思う。多分、まだ少し自信はないが、以前よりもわかってきた。「社会には違う人間がいるからいい」という事も分かってきた。今風に言うと多様性で、この地球も様々なニッチ(生態的地位)が存在し、そこに適応した様々な動植物が生息している。田んぼや畑などの単一の種類しか生育していない状況はむしろ不自然で、不健全なこともある。そういった偏ったニッチでは病気が広まりやすかったり、特定の生物が大量発生してほかの生態系に影響したりもする。だから生き物というのは適度に色々いた方がいいのだ。多分人間もそうなのだろう。(別に田んぼや畑などの農耕を否定するわけではない)

     

     こういうことを何度も頭の中で考えたけどうまく文章にできなくて漫画で表現したものがあの漫画でした。

    夢の話

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    2023/6/1

     

     夢をよく見る。この間、夢を見ている時と目が覚める時の間に変な空白があって、その時に今がいつで自分がどこにいるのか全く分からなくなって怖かった。目が覚めたらちゃんと眠る前の現実と記憶がつながったんだけど、記憶と記憶の間というか、物語と物語の間の白いページみたいなものが、自分が生きている時間の中にもあるんだな…と変な気分になった。また、目が覚める時にちゃんと眠る前の記憶がロードされることの正確さに感心もした。冒険の書なんか簡単に消えるのに脳ってすごいなと思った。
     眠る前と起きた時の記憶のつながりがちゃんとしていること、眠る前と起きた後に自分が同じ自分で同じ世界にいることと言った方がいいのかもしれないが、それが不思議だなと今更感じる出来事だった。夢は見るたびに違ったり、「これは夢だな」と気づく程度の設定の甘さというかふわふわした感じがあるのに、現実を認識する自分?みたいなものがぶれないのはすごい。多分、自分の外側に自分ではどうしようもできない、「眠る前と同じ現実」と「眠る前と同じ世界」が存在しているのもその原因(つまり眠る前と後で同じ自分が同じ世界を生きている感覚がしっかりとある)の一つなんだろうけど。